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大阪高等裁判所 昭和49年(ネ)2117号 判決

控訴人

沖野健

右訴訟代理人

牛田利治

被控訴人

中村鳴夫

被訴控人

中村よしえ

被控訴人

小田泰士

右被控訴人ら三名訴訟代理人

西尾正次

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴人の当審における被控訴人中村鳴夫、同中村よしえに対する新請求(予備的請求)を棄却する。

3  控訴人と被控訴人中村よしえ、同小田泰士との間では当審で生じた訴訟費用は控訴人の負担とし、控訴人と被控訴人中村鳴夫との間では訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一〈証拠〉を総合すると、(イ)中村義弘(昭和二一年一二月一六日生)は昭和四六年二月一二日午後一一時三〇分ごろ兵庫県三原郡南淡町福良乙五八一番地先の東西に走る道路上を小型普通乗用車(ホンダ一三〇〇)を運転して東から走行中、折から同道路北側にある大衆浴場福良湯を出て北から南に歩いて横断しようとしていた控訴人に自車を衝突させ、控訴人に対し頭部外傷および左大腿骨骨折の傷害を負わせたこと(義弘が交通事故を起こしたこと自体は被控訴人らもこれを認めて争わない)、および(ロ)右加害車両は中村義弘が昭和四五年五月二六日ごろ本田技研工業株式会社代理店から代金割賦払いの方法で買受けたもので、事故当時は未だ代金支払いの中のためその所有権はなお右訴外会社に留保されていたが、その使用者は義弘で法廷の自動車検査証にもその旨登載されていたことが認められ、右認定事実を左右する証拠はない。

そうすると、中村義弘は控訴人に対し自賠法三条に基き控訴人の蒙つた人身上の損害を賠償する義務がある。

二次に、右中村義弘が右事故後間もない昭和四六年六月一九日死亡したところ(原審における被控訴人鳴夫および同よしえ(第一回)各本人尋問の結果によれば、義弘は本件事故を苦にしていたと思われる以外特段思い当る節もないのに突然焼身自殺を遂げたものであることが認められる。)、被控訴人鳴夫はその父、同よしえはその母であることは当事者間に争いがなく、成立に争いない甲第九号証によれば義弘には生前配偶者、直系尊属がなかつたことが認められる。

そうすると、被控訴人鳴夫、同よしえは右義弘の共同相続人として同人が控訴人に対して負う前記損害賠償義務を各二分の一の割合で相続するものといわなければならない。

三しかるところ、右被控訴人鳴夫および同よしえが昭和四七年一月三一日神戸家庭裁判所洲本支部で義弘の遺産につき相続放棄の申述をしたことは当事者間に争いがなく、成立に争いない乙第六号証の一、二によれば右申述はいずれも代理人弁護士西尾正次によつてなされ、同年同月一七日付をもつて同裁判所の受理するところとなつたことが認められる。

1 そこで、まず、右被控訴人らの相続放棄の申述が自己らのために相続の開始があつたことを知つた時から三カ月以内になされたか否かについて考える(民法九一五条参照)。

〈証拠〉を総合すると、(イ)義弘が本件交通事故を起こした約一カ月後母被控訴人よしえは同人と同道して控訴人の入院先を訪ね、謝罪の意を表したが、控訴人は怒つて自己の蒙つた損害につき「家も売つて全部支払え。」というばかりであつたため円満明確な示談には至らなかつたこと、(ロ)被控訴人鳴夫が同道しなかつたのは、同人がもともと耳が遠く、かつ文盲で、当時は人夫として働らくだけで、その他の家事万般を妻被控訴人よしえにまかせていたためであること、(ハ)義弘は生前自ら三六万円余を控訴人に支払つたが、両親である被控訴人ら両名は義弘の自殺の前後を問わず格別控訴人に自ら賠償金を支払つたことはないこと、(ニ)しかるところ、義弘死亡約五カ月後である昭和四六年一一月一七日になつて被控訴人よしえは、控訴人代理人嘉根博正から名宛人を被控訴人鳴夫とする書面で、その内容として「被控訴人ら両名は義弘の相続人として控訴人に本件交通事故による損害を賠償する義務がある。ついてはその金額を大幅に譲歩して金五〇万円としたいから支払われたい。」旨の示談の申入れを記載した内容証明郵便を受領し、はじめて自分ら夫婦が法律上息子義弘の法定の相続人であることをほかでもない法律専門家である弁護士から知らされたこと、それまで被控訴人よしえはもとより同鳴夫は特段法律知識もなくそのような法律制度(いわゆる逆相続制度)の存することを知らず、義弘の葬式のさいにも被控訴人よしえの兄奈木正之(洋品店主)から「義弘の起こした交通事故のことは心配いらぬ。」といわれてそんなものかと考えていたこと、(ホ)そこで、被控訴人よしえはすぐに数田司法書士方を訪ねて相談のうえ同人の紹介で弁護士西尾正次の助言を受け、同弁護士に委任して被控訴人ら両名前記相続放棄の申述手続をしてもらつたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。

以上の事実によれば、右被控訴人ら両名が自己らのために義弘の相続の開始があつたことを知つたのははやくとも昭和四六年一一月一七日前記内容証明郵便を受領し、被控訴人よしえがこれを見た時であると解するのが相当で、昭和四七年一月三一日になされた右被控訴人ら両名代理人(ただし正確には、被控訴人鳴夫については被代理人)弁護士西尾正次のした本件相続放棄の申述は民法九一五条所定の三カ月の熟慮期間内になされたものであるということができる。

もつとも、前記認定事実によれば、右被控訴人らが相続開始の原因である子義弘の死亡を知つたのはもとより死亡当日であることが推認可能であるが、前記法条にいう「自己のために相続の開始があつたことを知つた時」とは単に相続開始の原因である事実の発生を知つただけでは足りず、そのために法律上自己が相続人となつたことを具体的に覚知した時を指すものと解するのが相当で、右覚知の存否判断にさいしては相続法規の知、不知にも想到すべきであるから、右のような推認事実だけで前記判断を左右することはできない(大審院大正一五年八月三日決定民集五巻六七九頁参照)。

以上の見解に反する控訴人の主張は採用することができない。また、被控訴人ら両名が、義弘死亡当時自己らが同人の相続人となることを覚知しなかつたことについて過失の存否を云々する控訴人の主張も独自の見解であるから採用することができない。のみならず、本件においては、右被控訴人らについて控訴人主張のような過失を認めるべき事情は見出し難い。

なお、原、当審証人平野利次の証言によれば、「義弘が死亡した二、三日後に前記奈木正之が平野利次(控訴人の姉の夫である久留米正一の友人で本件交通事故に関する義弘との示談交渉につき控訴人側の代理人となつていたもの)方を訪ね、被控訴人鳴夫から預かつてきたと称して金四万円を置いていつた。」との証言があるが、右証言内容については、被控訴人らは当審においてともにこれを否定する供述をしており、かつ他にこれを裏付ける確証もないから右事実をにわかに認めることはできない。のみならず、かりに右のような事実があつたとしても、奈木が現金を持参した趣旨が必らずしも明らかでないばかりか、前記認定事実および判断に照らすと、これにより被控訴人らにおいて右現金持参の当時自己が相続人であることを知つていたという控訴人の主張を肯認することは到底できない。

2  次に、控訴人に、右放棄申述のうち被控訴人鳴夫の分については同被控訴人の真意に出たものではなく、また、被控訴人よしえの無権代理行為であるから無効である旨主張するが、前記三、1の認定事実ことにその(ロ)の事実および右被控訴人ら両名が同居の夫婦であることならびに弁論の全趣旨に徴すると、被控訴人よしえが弁護士西尾正次に対し放棄申述の手続を依頼するにさいしては被控訴人鳴夫の分については同被控訴人の包括的な委任に基きその意を体してこれをなしたものであることが認められるから、その放棄申述は何ら控訴人主張のような瑕疵はない。

3  はたしてそうだとすれば、右被控訴人ら両名の相続放棄は有効で同人らは初めから義弘の相続人とならなかつたものとみなされる(民法九三九条)。

四してみると、控訴人の(一)被控訴人鳴夫、同よしえに対する(1)亡義弘の損害賠償義務の相続人としての責任を追求する請求は爾余の判断をなすまでもなく失当であり、また、(2)右被控訴人ら両名を本件加害車の直接の運行供用者であるとして損害の賠償を求める当審での予備的新請求も、本件においては右被控訴人らが事故当時自己らのため加害車を運行の用に供していたと認めうる確証は全くなく、かえつて前記一(ロ)の事実および当審における被控訴人よしえ本人尋問の結果によれば、本件加害車は義弘が自らの出捐により割賦払いの方法で購入したもので、事故当時も専ら同人がその運行の用に供していたものであることが認められるから、爾余の判断をなすまでもなく失当であり、(二)被控訴人小田に対する(1)債権者代位による所有権移転登記手続等の請求は、控訴人の被代位者被控訴人鳴夫に対する損害賠償請求権(被保全債権)自体を認めることができないこと上来説示のとおりであるから、その請求の当否を判断するまでもなく、控訴人にはかかる訴訟追行の機能がないものといわねばならず、また(2)詐害行為取消およびこれを前提とする請求も、その被保全債権自体を認め難いこと前記と同様であるからこの点においてすでに失当である。

五よつて、控訴人の被控訴人鳴夫、同よしえに対する相続債務である損害賠償請求を棄却し、同小田に対する代位の訴を却下し、詐害行為取消の請求を棄却した原判決は相当で(なお、控訴人の被控訴人鳴夫に対する詐害行為取消を前提とする予備的請求に関する原審の裁判は控訴人が当審で該請求部分の訴を取下げたことにより失効した。)、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴人の当審における被控訴人鳴夫、同よしえに対する予備的新請求(右被控訴人ら両名を本件加害車の運行供用者であることを前提とする損害賠償請求)を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九五条を適用して主文のとおり判決する。

(朝田孝 戸根住夫 畑郁夫)

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